中学1年の頃の記憶(塾への行き、帰りのバス編)2

昨日書いた中1の記憶2。今回もバス中心で書いていこうと思う。今回は2学期から3学期。2学期からは塾が10倍忙しくなった。というのは前回書いたようにとある数学の熱血教師と出会ってからである。それからというものその熱血教師による遅刻者補習(遅刻20分以上のものに行う補習のこと。当然入ってました)が行われ、帰りは21時30分から22時10分まで落ちた。ちなみに補習を受ける前の私の数学の実力は壊滅的であったが彼の補習により人並みの成績を残せるようになった。この先生については、また暇があれば書こうと思う。
さてそれからというもの、帰宅が遅くなったためバスも乗るバスが変わった。帰宅コースは前回紹介したものと同じ塾→警固町→博多駅→さらに乗り換えて帰宅というものであった。
大体22時10分過ぎに到着していたのでそれ以降のバスに乗っていた。このころから徐々に執着心がわき始めていった
当時この時間帯来ていたのは202,203,201,114,113、203、201・・・・・という順で来ていた。202は壱岐9035、203は壱岐5876、201は四箇田(当時)1301、114は片江7320、113は青バスの桧原8622、203は壱岐5162、201は四箇田(当時)1611がやってきていた。当時はまだ93××や94××は存在していなかったので日デのKLがかなりウジャウジャしていたと記憶する。そのためか前者2つには滅多に乗ることは無かった。逆に8622はよく乗っていた。が、乗客が多く立ち客になることもしばしばだったため、すぐに止め、四箇田1301に乗っていた。というのもガラガラだったわけだからである。おなかがすいていた私はコンビニで購入したフランクフルトあるいはアメリカンドック、飲み物を片手に1301に乗りV8の唸るエンジンに自分は心を奪われていた。この1301で帰宅することがこのあとも続くことになるわけなのだが・・・・。
この冬クラスをワンランク落とした私は帰宅時間が再び21時30分になった。ところが帰るルートがエスカレート・・・・・。
この話はまた次としよう
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